コミュニケーションの壁

このブログでも「コミュニケーションの重要性」について何度か書いた。

崩れたプロジェクトの95%は「無駄な作業」であり、成功したプロジェクトでも20%の無駄な作業があるといわれている。

この「無駄な作業」の主要因は、コミュニケーションである。 では、どうしてコミュニケーションがうまくいかないのか・・、考えてみよう。

コミュニケーションを発信と応答という観点からみた場合、発信側の動作に対し、応答(受信)側が何かしらのアクションを起こした場合にコミュニケーションが成立したといえる。

この様にコミュニケーションの主導権は、受信側にあるといってもよい。「受信側が心の窓を開くかどうか・・」がポイントである。心の窓を開かせない、何かの「壁」がそこには存在する。 壁をどんなに叩いても、心の窓は開かないのである・・。

その壁とは・・

知っているつもりの『バカの壁(ガラスの壁)』、『無関心の壁』、「あいつがいいことを言うはずがない」「あいつはどうせ駄目な人間だ」「あいつにできるはずがない」と相手を見下す『軽蔑の壁』、何事についても自分が一番と思っている『傲慢(ごうまん)の壁』、相手(発信者)の下心ばかりに関心がいく『不信の壁』、その他にも『ライバルの壁』、『嫌悪(けんお)の壁』がある。

また、すべて自分の立場がどうなるか? という視点からしかものが見えない『自己保身の壁』、行動の第一歩を踏み出す勇気が無い人、言葉では相手の言うことを理解しているが、それを行動に移すのが怖い・・、やらなければいけないこととできない自分のギャップに益々自信がなくなってしまう『臆病の壁』、相手の内容よりも発信者の威圧感に圧倒されてしまう『恐怖の壁』、視野が狭い(あるいは視点が低い)ために相手の言っている内容が理解できない『視野の壁』なども、受信側の壁である。

発信側にも、壁を作ってしまう態度がある。

相手を小さな物、小者と考え、相手をするまでもないと無視してしまう、というよりは相手が見えない『呑んでかかる人』、自分をいやしめて、相手に迎合しようとする『卑屈(ひくつ)な人』、何事も悪い方に解釈する『ひがむ人』、相手に感心がない、自分の世界にだけに閉じこもっている、人との交流や折衝は自分の殻だけで通そうとする『冷たい人』、常に地位の上下だけを気にする『上下をいつも意識する人』などである。

また、自分が好きであるとか、重要と思っている人には丁寧に対応するが、そうでもない人には意を用いない『人によって態度が極端に変わる人』、自分が知っていることは何でも口を出し、他人の小さな誤りを滔滔(とうとう)と弁じる。また、自分の誤りを指摘されると、その弁解にまた浅い知識をひけらかす『必要以上に知識をひけらかす人』、どちらを選択してもいいことに必要以上に固執する『どうでもよいことに自分の主張を貫く人』などの態度もコミュニケーションの壁となる。

自らが、コミュニケーションの壁にならないよう注意したいものである。