情報を見極めるチカラを養う・・

ブログの記事ネタは、テレビや本・新聞・雑誌を見たり聞いたりして、気に留まったものをノートやパソコンに記録しておき、思いついた時に一気にブログに書き込むようにしている。

今日の記事も、1年以上前のテレビで放映(確か、朝の4時台だったと思います・・)されたもので、その時のメモを封筒の裏に書いて残していました。

皆さんは、「下村 健一(しもむら けんいち)」氏をご存知ですか?

彼は、TBSの元アナウンサーです。サラリーマンやタレント・アナウンサーの多い中で、彼は若いときから自分の主張をハッキリ言う人間で、筑紫 哲也(故人)さんに次ぐ好きなアナウンサーでした。。

彼の取り扱ったニュースの中で、特に印象深いのは、1994年に起きた「松本サリン事件」で警察に容疑をかけられ、マスコミに完全に犯人扱いされていた「河野 義行」氏を継続取材し、冤罪(えんざい)であることをスクープしたことである。

彼の「歯に衣着(きぬき)せぬ」ものの言い方と徹底した取材は、その後の様々な事件報道でも発揮されたが、残念ながら1999年にTBSを依願退社しフリーとなっている。

今日は、彼がテレビ寺子屋で講演した「情報の受け取り方」について紹介します。

講演の中で「ご飯の食べ方」や「道の歩き方」があるように、子供達にも「テレビの見方」を教える必要があると強調している。

確かに、テレビやインターネットなどのメディアから情報が溢れる今、流れる情報の中から「自分の必要とする」「正確な情報」を選択する力が求められている。
特にテレビから入ってくる情報が、人間の判断の大半を占めるともいわれており、報道側に何かの意図があって報道されたとしたら・・、本当に怖いことである。

?「事実」か「印象」かをよく吟味する。
 キャスターが話す内容が実際に起きたことなのか?、それとも感じたことを言って
 いるのかをよく見極める必要がある。
?1つの見方に偏らない。
  常に「他の見方はないかな・・」ということを考え、一方の考えに偏る見方をしないこと。
 例えば、人里に猿が出たというニュースがあったとします。これは違う視点から見ると、
 もともと猿がいた山を切り開いて人が住んでいるのだから、猿里に人が出たとも言える・・
?スポットライトの周囲を見る。
 情報の奥に「何が隠れているかな」ということに注意を払う必要がある。
 ニュースはある事象にしかスポットを当てないから、その裏に隠されていることにも
 目を向ける必要性を説いている。
?結論を即断しない。
 最後に「まだわからないよね・・」、つまり結論を即断しないということである。
 松本サリン事件の第一通報者である河野 義行さんを、犯人視した例が典型的である。
 情報を伝える側の「部分しか伝えきれない」限界性と、視聴者の「部分を全体だと
 思ってしまう」癖とが重なり合って、皆が加害者になってします非常に危険な状態をいう。

2005年4月に起きた「JR福知山線脱線事故」。107名の死者を出した列車脱線転覆事故である。事故直後は、被害者・被害者家族の事、JRの対応についてマスコミは挙(こぞ)って報道合戦を続けた。
その後、報道の視点は「オーバーラン」に移った。どこの駅で、列車が何メートル(いや、何?)オーバーランして止まったとか・・。大事故の本質が、いつの間にかすり替えられて報じられているのである。
視聴者も勿論、その方向に誘導されていく・・。

最近では「新型インフルエンザ報道」が、そうである。マスクをつけることは、予防にほとんど効果がないことが科学的に解っているのに、厚生労働大臣のいった一言だけがクローズアップされ報道された。海外からはマスク姿の日本人が「滑稽(こっけい)」に映ったり、大阪では発症した学校が誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を受けたり、マスクが不足したりと・・。

不確かな情報から間違った報道がなされ、一度そう報道されてしまうと、その間違いを認めて方向転換していくのが下手な日本のメディア。
そして、誤った報道によって被害者が受けるダメージは計り知れないほど大きい。
メディアの情報をうのみにしてしまう我々視聴者にも、問題はある。決して遠い世界の話ではなく、いつ自分に降りかかってもおかしくない問題として考えていかなければならないのである。